平安京復元模型は、平成6年、平安建都1200年記念事業の一環として制作されました。縮尺1/1000(東西4.5km、南北5.2km)で、我が国最大級の歴史都市復元模型であり、考古学、歴史学、地理学、建築学等の研究者らによる2年5ヶ月にも及ぶ討議に基づき、その研究成果を結集して完成しました。
そして平成30年3月、今まで展示が出来ていなかった上賀茂神社や神護寺、高山寺のほか仁和寺など、平安京の歴史を知るうえで重要な建造物が含まれた北西部側エリアを加え、模型全体の展示を開始しました。
三山に囲まれた平安京の立地環境を理解するうえで重要な要素となる自然環境も、一望することが出来ます。
羅城門は、平安京の南面中央にそびえたち、隣接する大伽藍、東寺・西寺とともに律令国家の新たな首都「平安京」の正面を飾っていました。その規模については、幅約35.7m、高さ約21mと推測されており、門の左右両翼には羅城が付属していました。
羅城門をくぐると、飛行機の滑走路のように幅広い道路が一直線に伸びています。これが都のメインストリート、朱雀大路です。その幅は84mであったと伝えられています。道路の東西には鴻臚館、朱雀院、大学寮といった官庁、離宮が立ち並んでいました。
造都と並行して営まれた宴遊の施設で、東西二町、南北四町の広大な地域の中に、平安京以前の自然を残し伝えていました。
平安京の南辺に位置し、京内には東寺と西寺だけが建てることを許された寺院でした。のち、空海に与えられ、真言宗の総本山となりました。罹災と再建を繰り返し、回廊や僧房は廃絶してしまいましたが、現在までその寺域は変わっていないと伝えられています。
国宝「洛中洛外図屏風(上杉本)」は、狩野永徳が描き、織田信長から上杉謙信に贈られたと伝えられています。応仁・文明の乱につづく戦火によって焦土と化した京都の町が、戦乱より100年を経て見事に復興した様子が描かれており、旺盛な町衆のエネルギーを感じさせ、絵画としてのみならず、歴史資料としても大変優れた名作です。
屏風は、謙信に贈られたのち、長く旧米沢藩主上杉家に大切に保管され、平成元年に米沢市へと寄贈されました。現在、米沢市上杉博物館において国宝として所蔵されています。
当館の陶板壁画は、昭和56年の館開設時に上杉家のご了解を得て制作されました。
豊楽殿とは、外国の使者を迎えての宴会、大嘗祭など、国家的饗宴を行う施設である豊楽院の正殿として建設されました。東西約46m、南北23m、朱塗りの柱と白壁の華やかな唐風の大建築であり、屋根の大棟の両端に緑釉の鴟尾をのせ、軒先にも緑釉瓦がアクセントを添えていました。
鴟尾(しび)とは、仏教伝来とともに我が国に伝えられた棟飾で、宮殿や寺院の屋根の両端に飾られました。当館展示の鴟尾は、豊楽殿発掘調査の際に鳳凰文の顔部分が出土したことから、これをもとに大きさを推測し、約800度で素焼きした瓦に緑釉の古色を塗装し、実物大に復元したものです。高さは1.5mで、鴟尾としては中位に相当します。
造酒司(みきのつかさ)は、朝廷が使用する酒や酢を醸造していた役所で、大内裏の中にありました。当館はこの跡に建設されており、遺構を平安宮造酒司倉庫跡として残しています。また、発掘調査の際に出土した資料のうち、平安初期の土師器、須恵器など25点を展示しています。
京都アスニー正面玄関を入ってすぐのところに設置しているこの図屏風複製は、『源氏物語』葵巻を題材にとった屏風で、賀茂斎院の御禊の日、見物のため牛車を停める場所をめぐって、従者たちが闘争におよぶ情景を描いたものです。土佐派の絵師によって描かれた近世初頭の作品の主要な部分を拡大し、複製しました。(京都市歴史資料館蔵)
原本は門外不出の国宝として北野天満宮に所蔵されており、当館では北野天満宮のご協力を得て、最新のデジタルアーカイブ技術により複製した作品を展示しております。
絵巻の冒頭、道真公と父是善公との出会い。
住み慣れた京の紅梅殿を後に、浪速の津より船出する。
延喜元年(901)九月十日、配流先のあばら家で、醍醐天皇から賜った御衣を前に詩を詠まれる。
道真公薨去後、都では天変地異が続き、清涼殿への落雷は道真公を陥れた者たちを震え上がらせた。
平安時代の終わり、今の岡崎の地には「勝」の字を含む六つの寺が相次いで建立されました。白河天皇の「法勝寺」にはじまり堀河天皇「尊勝寺」、鳥羽天皇「最勝寺」などです。法勝寺には有名な八角九重塔が建てられていましたが、その遺跡が発掘調査で今の岡崎動物園の観覧車下に見つかりました。
平安時代末期を代表する遺跡として鳥羽離宮があります。白河上皇や鳥羽上皇による院政にかかわる重要な拠点の一つでした。御所や御堂、そして御陵も築かれました。まわりには院の近臣の住まい、多くの御倉、武者所、工房、雑人の住居などが建ち並んでいました。
「平安京跡イメージマップ」は、平安京復元模型の範囲にあった主な史跡を現在の京都の地図と重ね合わせて示したもので、京都市平安京創生館前に展示しています。
平安時代(平安京跡)関連事項をベースに、御土居跡・聚楽第跡を重ね、さらに現在設置されている主要な石碑や説明版などの位置を示しています。
立命館大学アート・リサーチセンターのご協力により、Web版「平安京オーバーレイマップ」を下記リンクからご覧いただけます。
京都1200年の姿をお楽しみください。
平安京オーバーレイマップを見る(外部リンク)
※GPS機能搭載のスマートフォン・タブレット端末等からご利用の場合は、現在地を表示することができます。
なお、イメージマップの収録データは、制作した時点での情報を反映したものであり、実際と異なる場合があります。あらかじめご了承ください。
「古代の京都~ヤマシロイメージマップ」は、平安京跡イメージマップの範囲をさらに広げ、北は大原から南は巨椋池まで、東は上醍醐から西は愛宕山までを含みます。
古代の京都盆地の様子と現在の地図を重ね合わせた、南北約5.4m・東西約3.5mの床面マップです。
立命館大学アート・リサーチセンター、歴史都市防災研究所のご協力により、Web版「古代の京都~ヤマシロ・オーバーレイマップ~」を下記リンクからご覧いただけます。
「古代の京都~ヤマシロオーバーレイマップ~」を見る(外部リンク)
※一部の端末からは、閲覧いただけない場合がございます。
※「ヤマシロ・オーバーレイマップ」では、現在地は表示できません。
なお、イメージマップの収録データは、制作した時点での情報を反映したものであり、実際と異なる場合があります。あらかじめご了承ください。
「平安京オーバーレイマップ」「ヤマシロオーバーレイマップ」「平安宮データベース」「平安宮大内裏3Dマップ」の4種類のデータが閲覧できるようになりました。
館内に設置している地図「平安京跡イメージマップ」を現在の地図上に配置しています。
新機能として、史跡の現在の様子が見られる「ストリートビュー」がご利用いただけるようになりました。
(平安京オーバーレイマップ画面)
館内のロビー床面に設置している「古代の京都~ヤマシロイメージマップ~」(旧版)を現在の地図上に配置しています。
※現在、ヤマシロオーバーレイマップでは常設展示「ヤマシロイメージマップ(旧版、2016年作成)」が表示されます。
(ヤマシロオーバーレイマップ画面)
平安京について『誰もが、いつでも、どこでも、学びたいときに学べる」を目的に制作されたオープンデータです。
画像や紹介文とともに平安京跡を学ぶことができる「平安京跡ストーリーマップ」もこちらからご覧いただけます。
大内裏の様子を俯瞰で見られる3Dマップです。現在との比較や、時間の推移によって姿を変える大内裏の姿をお楽しみいただけます。
立命館大学が開発された『平安京大内裏3Dマップ』を設置しています。
大内裏の全景図や建築物(朱雀門・大極殿・朝堂院・豊楽院など)を3D画像でご覧いただけます。
平安京復元模型の見学と併せてご利用ください。
※協力:立命館大学
袿(うちき・女)・狩衣(かりぎぬ・男)(平安貴族の普段着)を自由に着ていただくことができます。
※着付け写真は一例です。
囲碁(いご)・盤双六(ばんすごろく)・貝合せ(かいあわせ)・偏継(へんつぎ)といった、平安貴族の遊び道具で遊んでいただけます。
畳の上でくつろぎながら、平安時代の暮らしと文化にふれてください。